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プラちゃんの部屋~変てこスリランカ人留学生(だった)奮闘記~

漢字間違えてても言葉変でも気にしないでね~

生き方

皆さん、こんにちは。
今日も見に来てもらって、どうもありがとうございます。
いつのまにか桜の季節だけど元気ですか?

少しブログの更新が遅れてごめんなさい。
翻訳がたまっていたり、陽子ちゃんもお客さんのデザインや翻訳で忙しかったのもあるんだけど、わたしたちは、最近いろんなことを考えるようになって、いろいろ勉強をしていて
なにか結論がわかったら書こうと思っていたからだ。

陽子ちゃんはいつも、ある日突然何か思いだしたみたいに問題提起をしてくる。
去年の1月くらい、ある日突然、わたしたちが食べている肉はどういうふうにスーパーにくるのか知りたくなって、自分で調べて恐ろしい事実を知って、それから2、3日くらい病気になっちゃった。わたしは、スリランカのテレビでそういう映像を見たことがあったからショックは陽子ちゃんくらいひどくなかったけど。でもコートとか服のファーを取る映像は見たことがなかったから、わたしもすごくショックで痛くてかわいそうだなあと時々思いだしている。あのことがあってから、わたしたちは肉だけじゃなくて牛乳や卵のことや革製品や毛皮の裏の事実を知ってそういうものを食べたり買ったりすることはやめた。

あの問題提起みたいに、陽子ちゃんがまた突然問題提起してきた。
それはアフリカのルワンダという国のツチ族とフツ族の民族紛争のことだ。わたしは全然知らなかった。ツチ族とフツ族の紛争は1994年にあったという。そのとき、陽子ちゃんは高校生でニュースで流れたのも覚えていないけど、なんか本屋で売っている雑誌にあの紛争のことが書いてあって、殺された人の山の写真を見たという。
そのときのことを突然思い出して、陽子ちゃんはあれを調べなきゃといって、いっぱい本を読んだりDVDをみたり、いろいろ勉強して、大体わかったところわたしに教えてくれて、一緒に映画をみた。

あの紛争はどういうことかというと簡単にいうとこういうことだった。
ルワンダでは多数のフツ族と少数のツチ族がいる。昔は少数のツチ族が政権や権力をもっていて、お金持ちはツチ族が多かったという。だけど1960年くらいにフツ族が政権をもつようになった。フツ族はそれから約30年間、今までのツチ族優位に反対するみたいになったという。それでも、なんだかんだいって、フツ族とツチ族は、一つの村にみんな仲良く暮らしていたという。民族と民族の結婚も普通でみんな同じ言語を話して同じ文化と習慣だったという。だけど、1994年にフツ族の大統領がのった飛行機が墜落したら、あれはツチ族がやったことだとあるラジオ局が放送して、毎日ツチ族を一人も残らないように殺すようにラジオで流したという。

それからの100日間でツチ族とツチ族を守ろうとする優しいフツ族も入れて、100万人が殺された。加害者は、フツ族の普通の村の若者や男たちで、武器はガンとかないから、ナタとか農業でつかう道具で体の部分を切ったり、異常なひどい殺し方をした。今までは隣で仲良くしていた人たちが、あのラジオによって敵になって、村の中の人を子供から大人まで、家族が見ているまえでここに書けないくらいひどいことをされて殺された。

これはなんかのテレビ番組でドキュメンタリーなんだ。
どうやって普通の村の若者が殺人をすることになったかこれを見るとわかりやすい。
1~5まであるけどひどい映像はないから、見てみて。

紛争はどんどんひどくなって、国連軍も入ったけど、結局、それを止めることはできないで監視するだけになって、死の恐怖の人をおいて撤退した。最後は、ツチ族の愛国戦線という軍やフランス軍が入って、紛争を鎮圧したという。

あの民族紛争は、世界でもっともひどい紛争という言われ方をしている。
あの紛争を生き残った人の話をもとにして、映画が2こある。ひとつは「ホテル・ルワンダ」で、ひとつは「ルワンダの涙」だ。ホテルルワンダは、フツ族の人が自分のホテルにツチ族を1200人くらい入れて、ツチを殺すフツから守った話だ。

でも、わたしたちが強く印象に残ったほうの映画は、「ルワンダの涙」だ。これは、ある技術学校を国連の基地にしていたところで起こった話がもとになっていた。そこには国連軍と白人の男の先生とカトリック教会の白人の神父様もいて、最初は普通の学校でたくさんのルワンダの生徒が勉強したりスポーツをしたり楽しんでいた。紛争がひどくなってくると、国連軍がいるから、その学校に助けを求めてツチの人が2千人以上も集まってきて、軍はしょうがなく入れてあげた。だけど、紛争がもっとひどくなっていって、毎日フツ族の殺人者が目の前でツチ人を殺すのに、国連軍は銃をもってシュートする格好だけして、なにもしないで、みていた。それは監視するのが命令だからだということだ。

結局、国連軍はルワンダに来ていた白人だけ助けて、あの学校から撤退することになった。残されたツチ族の人は、国連軍にお願いをした。農業用の切れないナタでゆっくり殺されるのは痛みがひどいから、どうかここでわたしたちを銃で一発で殺してくれ、せめて子供だけでも痛みが少ないように銃で殺してと、リーダーがお願いをした。だけど、国連軍はそれを拒否した。あの白人男の先生もそこに残るか撤退するか、すごく迷ったけど、結局殺されることがこわくて国連軍と一緒に逃げることにした。

白人の神父様は、「わたしはここに残る」といって、残った。それで神父様は、トラックの後ろの荷物を置くところのシートの下に子供を何人か隠して、どこか遠いところへ子供をリリースするために、トラックを運転して、あの学校から出ることにした。「わたしが帰ってきたら、もう1回子供を運ぶから準備しておいてくれ」とリーダーにいった。でも、あのリーダーはOKといったけど、もうそのときはみんな殺されているという顔をしていた。結局トラックが出たと同時に国連軍もいなくなって、フツの殺人者たちがいっぱい入ってきて、学校に避難していた人たちをどんどん殺していった。

トラックで子供をリリースしにいった白人の神父様は、道でやっぱり殺人者たちにかこまれた。神父様は暗いところでトラックを止めて、自分だけトラックから降りた。それで、殺人者の中に知っているフツ族の若者を見つけて、話を始めた。あいつは銃を神父様にむけていたけど、神父様は「今、銃を向けている君でも、この瞬間でも君に深い愛情を感じるよ」と言った。子供たちは神父様が話している間にトラックの後ろのシートの下から出て森の中に次々逃げた。銃を向けていたあいつは、神父様の言葉にきっと自分が勝てないと思ったんだと思うけど、神父様を撃って殺した。

この映画は、本当にあった話をもとにして作られている。

陽子ちゃんは、困っている人たちに何かしてあげたいといつも考えているけど、アフリカにはフランス語も出来ないし、きっと自分は将来はスリランカに住んでネパールやインドで何かが出来ると思っているけど、アフリカをどうしたらいいと考えているみたいで、アフリカのことを勉強するためにいろいろ思い出したみたいだ。

わたしはあの映画で、最後に神父様の行動は、仏教でいう「パラミータ」に近いかなあと思った。日本語では「波羅蜜」というみたいだけど、わたしが習ったパラミータは簡単に言えば「犠牲になる」ということだ。でも、パラミータは仏陀を目指す菩薩のような人しか出来ないことだ。菩薩は10個のパラミータをやって、やっと仏陀になれる。でも普通の人は、白人の男の先生みたいにいい人でも心に迷いがあって、パラミータをやることができない。
ああ、ここでまたパラミータを説明しちゃうと話があっちにいってすごい長くなっちゃうから今度、書くことにする。

あの映画で思ったことは、もう一つあって、もしかしたら、神父様があのとき死んでも子供達も結局、殺されたかもしれないということだ。
それもそうだし、数人だけ助けて、あと学校で残った何千人の人たちを助けられなかったのは意味がないという考えもあるかもしれない。
でも、これはやっぱり「生き方」なんだと思った。わたしたちがスリランカで困っている子供達や貧乏の家族にごはんをあげにいったり、ノートやペンをあげたりしても結局、スリランカの全部の苦しい人を助けられるわけじゃない。スリランカの貧乏の根本解決ができたわけじゃない。それに、スリランカの苦しい人を少し助けても世界中にはいっぱいいて、他のひとたちからみると、わたしたちがやりたいと思っていることは日本語の「焼け石に水」ということわざと同じことかもしれない。
だけど、最近やっぱりわたしはあの映画をみても思ったのは、わたしたちがやっていることは、わたしたちがこうしたいという「生き方」なんだなあということだ。それと、こういう生き方は、わたしの場合はテーラワーダという仏教の教えがあった。あの神父様にとっては、カトリックという教えだった。結局宗教は違うけど、やっぱり世界の宗教や人の心のずっとボトムにあるものは、同じなんだなあと思った。スリランカには、クリスチャンもいっぱいいて、綺麗な建物の教会はいっぱいあるけど、なんか全く考え方の違う宗教みたいに思っていたけど、その教えの中にはきっといっぱい同じところがあるのかもしれないと思った。

陽子ちゃんはいつも突然なにか問題提起をしてきて、わたしにいっぱい考える材料をくれる。そのたびにわたしは、ああ~今度はなにかなあと思うようになったけど、でも知らないことはいっぱいあって、もっと勉強をして世界のことを知らないといけないと思った。世界ではまだまだいっぱい戦争をやっているところがあるでしょう。アフリカの紛争も終わったところもあるけど、経験した恐ろしい記憶は消えないし、それを心に毎日でも思い出して苦しく生きている人たちもいっぱいいると思う。それでも、自分の他の家族が全員殺されても生き残って、勇気を持って頑張って人生を生きるしかない人もいっぱいいる。

誰にとっても、戦争の記憶は忘れられない。わたしは日本にきて、いつもは忘れているけど、子供の頃に経験したことは時々思い出して恐ろしくなる。でも同じに今の幸せの平和の人生にすごく感謝をしている。ルワンダ紛争のことは、今回一回だけで話すことができないし、また次回違うポイントで書きたいと思う。

じゃあ、最後に最近出来たお客さんの指輪だよ。横一列デザインだけど、これは2つとも
プラチナだった。でも二つちょっと違う感じになったからいいでしょ!

自分が苦しいときこそ、他の人のことを考えられるようになるといいね!
それがピン(功徳)で良いカルマを作っていくから。



今回もいろいろ長くなったけど、読んでもらってどうもありがとうございました。
これを読んでもらっている皆さんは、やっぱり毎日幸せだなあと思っているわけじゃないと思う。何か悩みがあったり、いろいろ苦しい状況があるからだと思う。
でも、日本の戦後に生まれたということは少なくてもきっと前世の行いが良かったからだと思うから、そんな良い人生で自分が頑張らなかったらもったいないし、そんな素敵の人生をもっとピュアにできるように負けないでいろいろ頑張って下さい!
花粉症のひとも体の調子が悪い人も無理しないで少しずつ良くなるといいね。

ありがとうございました。




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